本当に「練習は量より質」なのか?|科学的トレーニングvs根性論

トレーニング本

昨今、陸上に限らず多くのスポーツ界で「練習は量より質だ」という意見を耳にします。

たしかに、少し前までは「とにかく練習量をこなす」「練習中は水を飲まない」というのが当たり前でした。

だから、その反動で質を重視する傾向があるのかもしれません。

ただ、本当に「練習は量より質」なのでしょうか?

そもそも練習を「量か、質か」という二元論で語ること自体が誤りではないかと個人的には感じます…。

「とにかく走らせる」は「卵の壁当て」である

ある程度の練習量は必要

スポーツに限らず、芸術や勉強においてもある程度の練習量や時間を注げば(その成長度合いにこそ差はあれど)上達は見込むことができます

だから、人よりも多くの練習をこなすことが推奨されるのだと思います。

あれこれ考えて何もやらないよりはとりあえず行動に移したほうが得られるものも多いだろうし。

練習させるだけなら誰でもできる

ただ、指導者である立場の人間が「全員一律に同じ強度の練習メニューを課すこと」は指導者としての職務を放棄していると個人的には感じます。

なぜなら、高強度の練習をたくさん課すだけなら誰にでもできるから

卵の壁当ては才能潰し

例えば、たくさんの卵を壁に向かって投げるとその多くは割れてしまいます。けど、中には「偶然割れない卵」もあります。

指導者からすれば、それらの「割れなかった卵」=「厳しい練習に耐え抜いた選手たち」だけが結果を残してくれれば問題ないので、とにかく選手に量を課すのではないでしょうか。

でもそんなのは卵の壁当てであり、はっきり言って誰にでもできるし、選手の可能性を潰す最悪の指導方法だと思います。

結果を出す人は練習量も多い

昨今は「卵の壁当て」のような指導法が疑問視されるようになってきてます。

それゆえ「練習は量より質だ」という意見も耳にすることが増えたのだと思うのですが…

本当に練習は量より質なのでしょうか?

「30km以上は走らない」

2018年の東京マラソンでは16年ぶりに男子マラソンの日本記録を更新した設楽悠太選手(ホンダ)のある発言が話題になりました。

それは「練習では30km以上走らない」というもの。

この発言を受けて、「質の高い練習を行えば少ない練習量でも結果を出せる」という認識が広まったと言われています。

正直なところ僕自身はこの意見にほぼ異論はありません。

実際、少ない練習量でも結果を出しているランナーはいるからです。

「質重視=少ない練習量」ではない

ただ「質を重視すること」と「練習量をないがしろにすること」は同義ではないとも思っています。

実際、設楽選手は「一度に・・・30km以上走らない」というだけで決して練習量が少ないわけではないからです。

練習量の多さも実力

トップランナーの中には月間1000km以上走っているヒトもいます。

それだけの練習量をケガなくこなせるのは、その人が強いから。

結局、結果を出しているヒトは練習量も多いんです。

だからこそ、練習を「質か?量か?」という二元論で語るのはおかしいと思います。

「質と量のどちらも大切」

当たり前過ぎて耳が痛いかもしれないけど、これが真理なんだと思います。

それでも「やり過ぎ」よりは「やらない」方が良いと思う

大事なのはバランス

結局、強くなるためには「高強度の練習をたくさん行うこと」が最も効率的です。

強度が高いということはその分トレーニング効果も高いわけで、そういったトレーニングをこなした分だけ身体も強化されるからです(もちろん適切な休息もとったうえでですが…!)

でも、だからといって量をこなすことだけが目的になっては絶対ダメ。

繰り返しになりますが、思考停止で練習をすることは「卵の壁当て」と同じ。

やはり大切なのはバランスであり、高強度のポイント練習をこなしつつムリのない範囲で距離を踏むことが重要なのです。

継続こそ力なり

それでも、あえて言うなら「走り過ぎる」くらいなら「走らない」方が良いと個人的には感じます。

なぜなら、最終的に一番強くなるのは練習を継続できるランナーだからです。

継続するためにはケガをしないことが必須条件。

だから、オーバーワークで長期間走れなくなるくらいなら走らない方がまだ良いと思います。

一時的に走行距離を稼ぐだけなら誰にでもできます。

肝心なのは、その練習量と強度をいかに継続するか。

ライバル心や目先の達成感にとらわれて、最も大切な目標を見失わないようにしたいですね…!

参考書籍

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